Exhibition review

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Text: 大澤崇仁 (Takahito Osawa)

栗田頌久4回目の個展「➕TASU」の会場となったのは、栗田ファンにとってはお馴染みとなったB-FLATBAR恵比寿。恵比寿駅から渋谷方向に歩いて10分弱「THE落ち着いた雰囲気のBAR」である。昨年秋以来となる個展。同じ場所での複数開催は栗田にとっても初めての試みである。ここでは最終日2日前、9/28(金)の模様をお届けする。

「ライブじゃあるまいし、美術展のレビューに日付の明示が必要なのか」というそもそもの疑問が投げかけられそうだが、栗田の個展の場合はこれが大きな要素になる。アポをとって呼び出した栗田と現場で酒を酌み交わしながら鑑賞するスタイルなのだが、当然BARは営業中。この展示とは無関係に常連客や新規客が入ってくる。当日は金曜日で団体の予約も入っており、入店を断られた客もいるくらいだった。もうお分かりだろう。通された席や客の入りによって「まずどの位置から作品を見るか」が自ずと決まるのだ。真っ正面かもしれないし、真横かもしれない。これが一期一会の第一印象を生み出すのだから、ある意味では緊張の瞬間でもある。筆者は20:00過ぎに到着できたので、展示の近くで、或いは遠くから引きの目で、じっくり落ち着いて鑑賞できた。だが、混雑後に到着したゲスト達は、ぎゅっとひとまとまりに大きめのテーブルを囲みながらの鑑賞となったため、抱いた感想や印象は随分違ったかもしれない。しかし栗田は言う、「会場全体でひとつの作品である」と。ならば、どちらが良い・悪いと言う話ではない。あなたの訪れたそのタイミングで、あの場で相対した作品との出会いが、今回の個展におけるあなたと栗田との最良の出会いなのである。

バーカウンターに向かって左側には昨年秋の個展以来栗田の代表作となった「UTSUTSU」のシリーズがズラリ。これは書の上に磨りガラス型のパネルを加えた作品群だ。このパネルの意図を考えるだけで、きっといろんな見方ができるだろう。「扉」だと言う人もいれば、「層」と言う人もいるかもしれない。因みに筆者は「雲」だと思った。本質を隠す障壁か?はたまた背景に同化する風流か?そんな議論さえも透過するのが、このパネルの不思議な魅力である。

いずれにせよ栗田はこの「書に何かを組み合わせる」手法で新しい芸術哲学を広げてきた。書を書として魅せる芸術家はもちろんいるし、自然物や着物に筆を走らせている作品は見たことがあるが、工芸的な要素と組み合わせていると言う点では、栗田が第一人者であり、フロントランナーであろう。今回の個展のテーマである「足す」という営みは、「書、足す、何か」でもあり、当然これまでの栗田がやってきたことの帰結でもあるのだ。

代表作が並ぶ一方で、今回栗田が新しくモチーフに取り入れたのが「仏壇」である。「UTSUTSU」シリーズ同様に、書にプラスアルファを重ねるスタイルではあるが、木の扉をつけ、荘厳に展示されているその姿は、「神聖なものを見る気持ち」に訴えかけてくる。吊るされる形の展示となった一作は、「現」シリーズに混ざってバーカウンターの左側に並べられてあるが、明らかに違いを表現している。これまで、「現実をどう揺さぶるか」、「現実をどう拡張するか」というように、現実世界を軸にした創作を続けてきた栗田が今回は「神性を語る」。それだけでワクワクせずにはいられない。

今回新たな表現で作品を紡ぎ出す境地に至った栗田。当然、彼の思想哲学で「思いっきりぶん殴られる」と思っていた。しかし、この仏壇の新作からは、その思想と同時に「無心」さえも汲み取れる。仏壇新作のうちの1つが、バーカウンター向かって右側の、ネクタイなどが飾られている小物入れの上に展示されていたのだが、これが絶妙にこの場の雰囲気にマッチしている。柳宗悦は「無名の器にこそ真の美が宿る」と語り、生活の中に存在する民藝の価値を説いたが、今回の栗田の作品からも、「生活に溶け込んだ形式の美」を感じられた。おばあちゃんの家で、或いは、散歩の途中でたまたま訪れた寺で、名もなき工芸師が作った仏壇を見た時のような、静かな畏敬の気持ちに包み込まれた。決して栗田が「表現しようとする心」を出していないわけではない。だが栗田の芸術は明らかに、芸術を「爆発」させるタイプのそれとは大きく違う。それは岡倉天心が著した『茶の本』における、芸術にあえて空白を作るような、東洋的な侘び寂びの芸術の表出なのであろうか。今秋と来年、栗田はスイスでの個展を控えている。西洋人がこのオリエンタルな栗田の芸術をどう捉えるか。今最も楽しみなことのひとつであり、筆者も現地に取材に行かねばなと、準備をしている最中である。

昨年2月に渋谷で行われた2回目の個展「無起源non-origin」では、自身のルーツである書から少し距離を置いたような現代アート作品が多数を占めていた。個展を訪れた筆者は、大きな衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えている。いや、今だから言おう。ある意味では「完全に突き放された。俺にはもう栗田がわからないかもしれない。」という感覚さえ、あの時は感じた。

あえて自身の基盤を揺さぶるような表現で、「トガり」を見せていた1年半前の栗田。今回も現代アート的な要素がないわけではない。入り口側の大きな壁にかけられたガソリンポリタンクは、その出題意図を簡単には把握できない難問だった。しかし、不思議と、渋谷で感じた疎外感は全くない。決して皆が求める「書道」的な表現に迎合しているわけではないのに、言語化できない「親しみやすさ」が滲み出ている。他業種のアーティストでさえ、なかなか到達できない境地に1年半で至っていることに驚きを隠せず「サザンオールスターズでさえ10年かかった境地だぞ」と、サザンオタクの筆者は評したのだが、栗田はピンときていなかったようだ......。

栗田に会いにきていた他のゲストたちとも談笑し、世界観を満喫して帰路に着く。大満足の個展だった。改めてすごいなと思ったのは、「常に現在の栗田が最強」でいてくれる安心感。毎回の個展で必ず進化した姿を見せてくれる。今回の展示のキャプションやテレビの取材で栗田は、必ずと言っていいほど「学生時代に書道の〇〇の大会で最優秀賞をとった」と紹介される。しかし筆者はこれを聞くとほんの少しだけムッとするのだ。「いやいや、今の栗田がやってることはそれよりすごいですから!」と。「これまで」の軌跡ではなく、「これから」の一挙手一投足が注目されるアーティスト・栗田頌久に羽化する瞬間を、この先見てみたい。

Text: 大澤崇仁 (Takahito Osawa)

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Solo Exhibition 「➕ TASU」(2025-09)